ブログをご覧の皆様こんにちは!今日のブログは、前田陽二氏の著書『未来型国家エストニアの挑戦:電子政府がひらく世界』についてご紹介いたします。一言でいうならば、インターネットを使った壮大な社会実験がエストニアで実施され、それによって限られた人的資本を有用に活用するシステムを築いた話です。エストニア要チェックです。


エストニアについて

エストニアは北欧の国です。人口130万人程度で日本で言うと青森県と同じくらいです。国土はスイスやオランダよりも大きく青森県と比べると約5倍です。青森県の人口密度は都道府県ランキングで41位。東京と比べて50倍過疎化が進行しています。エストニアはその青森よりもさらに5倍も人口密度が薄く、東京と比べると250倍も過疎化が進行しています。広い国土に少ない人々が点在する、全ての北欧諸国の典型的な姿。それがエストニアです。このような地理的背景があったため、フィンランドなど北欧諸国は通信技術を国家的プロジェクトとして開発してきました。その結果、フィンランドにはノキアやスカイプなどのIT企業が誕生しました。

ロシアの支配からの解放、始まった改革

エストニアは1991年までロシア連邦に支配されていました。解放後独立したエストニアが行ったことは誰が市民であるかの確認作業でした。独自の立法システムの開発、自国の通貨(エストニアクローン) の発行、1940年に占領される前の財産の所有権を復活など大きな改革を次々に行いました。大きな改革の流れの中で政府はかなり早い段階から、広い国土にまばらに住む市民にサービスを提供することが経済的に厳しく、特に過疎地域の民間および公共サービスを提供することが不可能であると考えていました。サービスをするための人がいない。こうした認識のもとに、どのようにすれば多くのサービスについて人手をかけずに提供できるかについての検討が始まりました。

 インターネットの発展

一方、1990年代初めにインターネットは素晴らしい発展をとげていました。インターネットバンキングなどのeサービスを市民に提供できるようにすることが、官民 ともに必要であると考えました。インターネットは、国が小さな経済力で広い国土で効果的に機能させるための唯一の方法でした。

eIDの発行

多くの人々がインターネットでのサービス提供を受けるために、まず解決しなければいけない問題がありました。それは、どのようにしてコンピュータを操作している人が、本人であるかを確実に確認するか、という認証の問題です。コンピュータを操作している本人の身元を認証するために、政府は市民のための安全なデジタル・アイデンティティを開発する必要がありました。幸いにも北に隣接するフィンランドは、ICチップ搭載のIDカード(eIDカード)を発表し、フィンランドの市民にeIDカードを積極的に配布していました。北欧諸国は数十年前から国民のためのユニークな識別子(国民ID番号)を所有し、インターネットが登場する以前から広く使われていました。したがって、エストニアを含む北欧諸国はeIDカードを導入がスムーズに実施できたのです。

最大の課題はeIDカードの所持義務化

フィンランドではeIDカードの発行はうまくいったものの、実用的な利益を見出すことができないという市民の声が強くeIDカードプロジェクトは失敗していた。その経験からフィンランドのエンジニアは「エストニアではeIDカードの所持を義務とする」ように、エストニア人の担当者に強く勧めていました。そして、「その決定は当初あまりに過激で、政府による過度な押しつけ と感じるかもしれない。しかし後から考えればそれが唯一の解決策だったと言われるだろう」と。所持が義務化されたエストニアのeIDカードは、わずか5年後に広く市民に理解され利用されたため、eエストニアを構築するための技術基盤として大きく役に立ちました。

エストニアは電子署名が99%

その後、ほんの数年で電子署名やインターネット投票などの前例のない新しいサービスが開発されました。今でこそ電子署名は多くの国で利用されていますが、2016年時点で、エストニアは日々の連絡が書面による連絡よりも電子的な連絡の方が多い唯一の国です。エストニア人とビジネスをするなら書面での契約を結ぶことは得策ではありません。なぜ契約相手がそのような非効率的で、安全性が低く、環境負荷を与える方法で契約するのか、エストニア人は理解できないからです。エストニアの人々は、電子署名と電子契約が、署名を安価にし、ビジネスのスピードを上げ、森に木を残すことを知っています。

小さな社会でも大規模な社会と同様のサービス提供が必要

市民の居住数に関わらず、必要とするサービスは同じ。人が生まれ成長し教育を受け経済活動を行い、老いて死んでいくまでに様々なサービスが必要。これらは大規模な社会でも小さな社会でも同じです。小さな社会でも効率的にサービスを提供するためにデジタル改革は必須です。

まとめ

いかがでしたか?未来型国家エストニアの挑戦の冒頭にある、エストニア政府CIO ターヴィ・コトカ氏のメッセージを一部抜粋しつつご紹介しました。(エストニアの過疎具合がわかるように青森を持ち出したのはターヴィ氏ではなく、過疎をイメージしやすいように私が設定しました。)こんな国があったんですね!!衝撃的です。ちなみに世界的に見ると、1991年8月に世界初のウェブサイト欧州原子核研究機構(CERN)がTim Berners−Leeによって公開されました。世界がインターネットの価値に気付き、可能性を模索していた時期です。そのような時期にロシア連邦から独立したのがエストニアでした。彼らには広い国土に点在する市民というハンディキャップがありました。住民サービスを行おうにも人手がありません。そこで、目をつけたのがインターネットです。北隣にインターネット先進国のフィンランドがあったことも幸いしました。このような背景から、e-country、e政府に思いっきり舵を切り、改革をやり抜いたとのこと。すごいですよね。占領からの独立時は、物価の乱高下や経済的な混乱が起こりがちで、マイナスなイメージを持っていましたが、ドラスティックに改革ができる。壮大な社会実験として投資が集まるという側面があると知りました。

今回のブログは以上です。明日は、エストニアで1990年代に始まった改革がどのような経過を辿ったのか、そこから日本が学びとれることは何かについて、要旨をまとめながらご紹介していきたいと思います。それでは次回の更新をお楽しみに!



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